青山幼稚園からのお知らせ

幼稚園からのお知らせです。

園長先生から9月のメッセージです。「人はパンのみにて・・・・」

              人はパンのみにて・・・

                         園長 村上義治

エスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。                        ルカによる福音書4章4節

 

 例年にない暑い夏を乗り切り2学期を迎えました。運動会・秋の遠足・芋掘り・焼き芋会・・・、そしてクリスマス会とプログラムが目白押し。間もなくにして実りの秋に入りますが、こども達の育ちにも豊かな実りがありますようにとお祈りしています。

 さて、上掲の聖句はどこかでお聞きになったと思います。耳慣れている言葉としては、「人はパンのみにて生きるにあらず」(文語訳)ではないでしょうか。主イエスが、荒野で誘惑を受けられた時に語られた有名な言葉です。人が生きるに際して大事な物は、空腹を満たす食べ物だけで無く、心を満たす食料が必要だという意味合いです。主イエスは、それは「神の口から出る言葉」だと語っておられます。人の心の育ちには「言葉」が必要だということです。どんな言葉を聞き続けて育つか、その人の人生を左右します。その意味で子供に何を食べさせるかが大切なように、親としてどんな言葉を語り続けるかと問われます。もちろん園児に、保育士が心育つ言葉がけに心を用いることはいうまでもありません。

 ただ、人の言葉は往々にして環境や感情に左右されがちですので、不完全です。それで、主イエスは、「神のことば」によると語られました。具体的には聖書の言葉とその精神です。月々に紹介されている聖句をにれ食(は)むか、聖書を読んで頂けたらと存じます。

 ところで、コンビニで“daily yamazaki”の命名の経緯をご存じでしょうか。これは、こども達が覚えている「主の祈り」の中に「ひびのかてをあたえたまえ」にその由来があると言われています。漢字を入れて表現しますと「日々の糧を与え給え」で、英語では、“give us our daily bread”となります。この「糧」は“bread”であることは言うまでもありません。実は山崎製パン社長は、誠実なクリスチャンでした。命名の課程で、自社のパンを提供することを念頭にしておられましたが、心の内ではお客様に「山崎のパン」とともに「神のことば」を味わって欲しいとの願いがあったのではと推察しています。

ともかく、こども達が栄養価の整った食事に舌鼓を打ち、キリストの愛に根ざした言葉に養われ、明日に微笑(ほほえ)みかける人になれるよう共に育んで参りましょう。

         May God Bless You & Your Fam

園長先生、一学期終業のメッセージです。「弓を置く」

弓を置く

園長 村上義治

 「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。」創世記9章13節

                                  

 一学期が終わります。4月からの今日まで、大切なお子様の成長はいかがでしたか。きっと一日一日の育ちに、目を見張るものがあったのではと拝察します。これからしばらく夏休みに入りますが、ご家族で楽しみ二学期に備えて頂きたいと思います。ご存知のように二学期は、一番長くまた主要なプログラムもあり楽しみな学期です。不思議ですが、こども達は遊びやプログラムを通して驚くほどの成長を見せてくれます。どうぞご期待下さい。

 さて、今月の聖句は、旧約聖書中の「ノアのはこぶね」物語の最後部分に出てくる言葉です。雨上がりにきれいな虹が出た様子です。明るい未来を予感させる表現です。

お分かりのように、「虹」は「弓」の形です。聖句は、「虹が架かった」ではなく、「虹を置く」となっています。これに意図されているのは、「弓を引く」のではなく「弓を置き」、「平和」を求めると言うことです。お互いが心を痛めていることに、ロシアによる「ウクライナ侵攻」があります。ただ現在でも世界各地での紛争が絶えません。アフガニスタン紛争・シリア内戦・クルド対トルコ紛争・リビア内戦・イエメン内戦などです。平和が脅かされています。そして今世界は、東西の対立がさらに色濃くなりきな臭い状態です。

 そういう時代を生きる子ども達の平和が、突如として奪われないよう祈り願います。そして、これからを生きるこども達自身が、平和を希求する人になって貰いたいと思います。主イエスの言葉に、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイによる福音書5:9)とあります。当園で人生の基礎作りをする一人一人が、21世紀を生き抜く力を獲得し、平和に貢献出来る人になれるよう願っています。 

 時あたかも八月、平和を考える時です。世界の平和を願う私たちですが、先ずは私たちの小さな世界(家族)の平和(お互いが尊敬し安心して過ごす)を確保したいものです。

 

園長先生から7月のメッセージです。

                                                              「朝ごとに」

                                          

                                                                                     園長 村上 義治

「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます。」詩編5編4節

 

 おはようございます。貴方の朝は、どんな始まりでしょうか。想像するに忙しいスタートではと考えます。起きてすぐ身支度・朝食準備・子どもを起こし、これも身支度させ食事を取らせ園に送り出す。自分のことは最後になり、会社に始業時間に間に合うように駆け込む。だれかのことを特定して言っているのではなく、誰にでもありがちな朝の風景です。

 今月の聖句は、「朝ごとに、わたしの声を聞いてください。」とあります。一日の始まりの大事な時間に、身支度を整えることは当たり前です。が、「わたしの声を聞いてください。」との後半の言葉は、何を意味しているのでしょうか。

 「わたしの声」とは、「わたしの思い」あるいは「わたしの不安」と言えます。その日を「はちきれんばかりの期待」を持ってスタートできるなら問題ありません。しかし、実際はどうしようかと惑いつつになりがちです。この聖句は、「わたしの声」を「聞いて」とありますように、その思いを語り出し、自分の心を治めるということになります。つまり、心の身支度をすることです。この詩編をつづった人は、その方法として、信じている「主」なる神様に訴え出ています。夫婦げんかのしこりを残したままでの出発は、いかにもつらいと思います。また親子の思いが、行き違っていても大変なことです。そのようなことがあれば前日のうちに解決しておきたいですね。

 実は、この詩編の著者は、憂鬱になりがちな朝の時間に、信じている方に祈りのなかで訴え、その答えを5編13節で得ています。そこには、「喜び」「誇り」「祝福」「お守り」を固く信じてのスタートを切った著者の朝の心の身支度が述べられています。

 特に、家族の心はお互いに感染しやすいものです。親業は、「育ち直し」の絶好の機会とも言えます。明日の朝からの一日が、いままでにない光のさす始まりとなりますようにお祈りしています。